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総合プロデューサーのご紹介
私が、安定した大手企業の職を捨ててベンチャー企業に足を突っ込んだ理由を格好良く言うのは容易いですが、実際はサラリーマンとして勤まらなかったからだと今でも思っています。いわゆる、サラリーマン落ちこぼれでした。飛び込んだベンチャー企業(というか中小企業)の世界は確かに厳しかったですが、なぜか水を得た魚のようにはしゃぎまわっていた気がします。
いろんな会社がたくさんある、魅力的な経営者がたくさんいる、そうして私は中小企業というものにはまっていったのだと思います。
勤め先として見た場合の中小企業も、取引先として見た場合の中小企業も、私ですらまだまだ知らない会社が山ほどあるはずですし、ましてや世の中の人達にとってみれば、それこそ情報すら少ないわけで、知る術もないことになる。
誰かがやらなければ、なんて一丁前な使命感のもと、私は会社を興すことを決意していました。
もちろん、慈善事業で情報提供屋をやる訳はいかないので、当たり前だけどお役に立つことによって利益を得て行かなくてはならない。小手先の経費削減などではなく、より上流である経営課題や、事業展望を実現するためにある課題を解決したい。本気でそう思っていました。
私の経験、知識で役に立つことがあれば、惜しみなく社会のために提供していきたいと思っています。もちろん、世の中から継続して必要とされる組織になるために、属人性を極力排除しノウハウの標準化を進め、組織としての力をつけていくことに目一杯チャレンジし続ける覚悟はできています。
私たちは、日本経済の底上げのために、真剣に、泥臭く、中小企業を応援しています。そして、社会に存在する多くの課題を解決していける企業へと領域を広げながら成長していくことが使命であると考えています。世の中から継続的に必要とされ、記録ではなく、記憶に残る組織を目指していきます。
プロフィール
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1987年、大学卒業後リクルートに入社。企画営業として中堅・中小企業の中途採用支援の仕事をおこなう。新入社員の名刺集めキャンペーン東京の部では1位をとったが、初受注は同期中ビリから2番目だった。ドンドン初受注を決めてくる同期達を横目に見ながら、毎日ただひたすら飛び込みとテレアポをしていた。他人の3倍働いて他人と同じだと思い、量で質を補っていた。その甲斐あってか、翌年は大型受注が決まり年間売上高でトップをとれた。
リクルートの先輩に誘われ第二創業期のテンプスタッフへ10番目の男性社員として転職。人材派遣黎明期だが、主に地方拠点の立ち上げ(ドサ周り)をミッションとし、土地勘のない千葉と茨城の工業団地を徒歩で飛び込み(他に誰も歩いてる人はいない)新規開拓に奔走する。柏、つくば、水戸など複数の拠点を立ち上げ軌道に乗せる。その後、不振が続いていた大宮を任され、1年間で復調させた。
1994年、32歳で一度目の創業。HRコンサル事業として現ワタミの職務給制度構築、三谷商事(現PCデポ)やマックスマーラの管理職研修、リクルート研修事業部との協業など、人事制度構築・教育研修をおこなう。マーケティングコンサル事業として現レオパレス21の営業標準化や光通信のナレッジ共有化、くらしネット(ネットリサーチ企業)のマーケティング支援などをおこなう。その他、リクルート独立フェアの独立診断テスト構築、現ワタミのダイレクトフランチャイズ制度構築などの実績がある。属人性な先生稼業に疑問と不安を感じ事業の仕組み化を試みたが挫折し6年目に解散する。
借金返済のためサラリーマンとして再出発。プラザクリエイト(JASDAQ上場)社長の右腕として、新規事業開発・海外企業とのアライアンス・大手企業との合弁による新会社設立などの実務責任者を歴任した後、通信関連ベンチャー企業(マンションインターネット)の立ち上げに参画し営業統括責任者として活躍するも半年で倒産。売っても売っても開通しなかったなぁ。東京電力系通信キャリアのパワードコム(後にKDDIが買収)に拾われる。ソリューション営業と唱っているのにカタログを持参し淡々と説明するだけの営業スタイルを見て愕然とし、提案営業ってこうやるんだよという変革を実践。途中、三井物産の仲介により日本ユニシスへ出向しシステムとネットワークの融合提案立ち上げプロジェクトに尽力。出向解除後はIPテレフォニーのプリセールスエンジニアとして、営業マインドばりばりの営業支援部隊を築いた。
借金返済の先が見えたので、2007年、44歳で二度目の創業。中小・ベンチャー企業の経営幹部に特化した職業紹介事業をスタート。30歳から40歳のベンチャーマインド溢れる人材に対し魅力的なベンチャー企業の求人情報が届いていないという自身の経験から、この社会的課題を解決したいという想いが強くなっての起業だった。予想どおり求人側も求職側もニーズが強く事業は順調に推移したが、ここでも常に事業の仕組み化を考えていた。もちろん仕組み化にチャレンジはしたが、リーマンショックの影響もあり事業縮小を余儀なくされる。顧客の経営者からは「良い人材を採用する必要性は理解しているが、今は売上を上げる方が大事」との声を多く聞くなる。
日本経済を底支えている中小・ベンチャー企業経営者達のお役に立ちたいと性懲りもなく実質三度目の創業を決心する。2010年、もう47歳になっていた。職業紹介事業の新規開拓用リストとしていた社長動画サイトに自身の顧客が数社掲載されてた。その顧客の経営者にヒアリングしててみると、目的も明確でないまま決して安くはない費用を払っていて、無論効果測定などしていなく成果も挙がっていなかった。割に映像は非常に陳腐なものだった。インターネット中探してみたところ同様のサイトはいくつか存在し、無料サイトを除いても1000社以上の中小企業が利用していた。ブロードバンドインフラも整い、YouTube、ニコニコ動画、GyaOなどの動画サイトも定着してきて、ネット動画元年とも言われている。中小・ベンチャー企業の売上高向上のために、このモデルを3割の新規性を考えて映像にマーケティング視点を注入すれば・・・。
16歳(高校)から30歳(実業団)までの15年間アメリカンフットボールの選手をやっていたが、その時の未達成感が今でもコンプレックスとして残っている。物欲もなくなった、とびきり高級な料理もいらない、車も軽自動車で十分、見栄もいらない、本当にそう思えてきた今日この頃。世の中に軌跡を残したい、生きた証ってやつを。
- モットー
- 志し、想い、素直に、誠実に、挑戦し、感謝し、協調し、愉しみ、愛し、そして『愚直に生きる』
- いまの興味
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- 世の中に新しい価値を創り出すこと
- 日本の地方再生、地域医療の再生
- 事業承継
- 地温暖化防止
- 世界の貧困撲滅
- いまの想い
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中小企業を元気にする事で日本を元気にしたい!
雇用を創出し社会から必要とされる継続可能な組織を創りたい! - 思い出の本
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ビジョナリカンパニー2
愚直に積む - つぶやき
- 16歳(高校)から30歳(実業団)までの15年間アメリカンフットボールの選手をやっていたが、その時の未達成感が今でもコンプレックスとして残っている。物欲もなくなった、とびきり高級な料理もいらない、車も軽自動車で十分、見栄もいらない、本当にそう思えてきた今日この頃。世の中に軌跡を残したい、生きた証ってやつを。
株式会社おだやか工房
代表取締役社長
久米 豊